くまさん

やはりというべきか、3日坊主で終わったブログ。

どうも毎日コツコツ続けるということができない。
 
1年の中で一番嫌いな2月が終了した。今年はまだマシな2月だと、何と無く余裕こいていたが、普通に生きていくだけで精一杯だった。寒いというだけで体が固まり無気力になる。月末は少し暖かかったので救われた気分だったが、来週は、再び寒さがぶり返すと予報で聞いて、たまったもんじゃないなと思った。早く暖かくなれ。
 
今週、詩人のまどみちおさんが亡くなられた。私の中で、まどみちおさんと言えば、小学生の国語の授業で暗唱させられた『くまさん』である。報道では、「『ぞうさん』などで有名な」とされている。まぁ、なぜ『くまさん』なのかは、暗唱したときに作者の名前まで言わされていたからだ。丸ごと覚えている。亡くなられたと聞いて、もう一度『くまさん』の詩を思い返してみたら、やっぱり良い詩だった。
冬眠から覚めて、たんぽぽのことは覚えているのに自分のことが誰だかわからないくまさんが、もう一度ぼんやり考えて自分のことを思い出す。よかったな。という詩だ。ぼんやりしたくまさんがとても可愛い。これは子どもの時もそう感じたと思う。大人になった今、春になってやっと自分のことが考えられるくまさんに自分を重ねたり、冬の間何もできてなかった自分を悔いたり。色々思うことがあるが、やはりこのくまさんのように春が来たら嬉しいのだ。くまさんが春を迎えて我を取り戻し、「よかったな。」と言った時のほっこり感は私も共感できる。
 
ところで『ぞうさん』は、鼻が長いとからかわれた象が負けじと「母親も長いからな!」と言い返すという歌らしい。私は、親子の仲睦まじい歌、母親ゾウの母性溢れる歌だと解釈していた。そんなまどみちおさんだから、『くまさん』の詩も春を迎えて良かったな、と言葉そのままに解釈する詩ではないのかもしれない。
しかし、くまさんが「よかったな」と言えた春を、まどさんが今年は迎えられなかったことを思うとなんだか寂しくなった。まどさんは私の中で『くまさん』と一緒に記憶の中でずって生きてきたからだ。
 
まどさんとはこの世でお別れしたけれど、まどさんもくまさんも、今までと変わらず私の中で生き続ける。そして、これからもこの季節に、私の心をフワッと浮かせて冬を飛び越えさせてくれるのだろう。